てすと

 テストって実は単に学力を測っているだけでは無いのかもしれない。その事実にうすうす感ず来始めたのは、僕が「劣等生」であることを受け入れ始めた高校一年も半分以上過ぎたときだった。
 僕は人一倍(当社費)プライド?が高い。他人に劣っているのは嫌だ。
 幼い頃の僕はスーパーマンではないが、人並み以上ではあった(はず)。しかし努力するのは嫌だった。運動でも、勉強でもがんばっている奴等を馬鹿にして、自分の能力を出し切ったと思い、気づくとそれなりな結果が返ってきていた。小さなガキの努力は滅多にできるものじゃない。だってそうだろ?外で野球をやろうぜと誘っている友達がいるのに、それを我慢して宿題ができる小学生はそうそう居ないだろ?しかもガキの努力ってやつは全てが身につくわけでもないしな。生まれ持った能力がよっぽどじゃない限り、オチこぼれるなんてことは無いんだ(それが隠れるようなシステムになっているのかもしれないが)。
 それが追いつくか無くなってきたのが中学時代からだ。周りのやつらも効率よく*努力*することを覚えていった。しかし僕はがんばらなかった。がんばっている奴等に手を振って、涼しいところにいようと足掻いていた。もちろんオチこぼれていった。それでも「俺、ベンキョしてないから…」なんて言い訳して、自分の力の無さを棚に上げていた。その頃の僕のきめ台詞?はこうだった。「テストなんかで人の頭の良さなんてはかれねぇよ」
 高校に入ってからは僕のオチこぼれは加速した。未だに努力することが出来ない僕は際限なく落ち続けた。気づけば僕はクラスでも有数の馬鹿キャラだった。その時理解した。僕は「劣等生」だった。
 そうなってから初めて、テスト勉強に打ち込める奴等の凄さが理解できた。自由な時間が増え、遊べるのにそれを我慢して、何になるのか分らないものを必死に頭に詰め込む。そんな作業を続ける、目標だって、ゴールだって見えないのに。何で奴等はそんなことできるんだ?テストのため?オトナから高い評価を受けたいから?テストで良い点とっても、「テストなんかで人の頭の良さなんてはかれねぇよ」って言われちまえば自慢も出来ねぇのに。謎だ。
 謎は逆説的に考えることである程度の答えが導きだされる。つまりだ、僕みたいに努力出来ない奴と、努力できる奴を振り分ける、これがテストって奴の真の目的だったのだ。もちろん勉強できる(テストで良い点が取れる)飲み込みが早い奴はこの先いろいろ使い道が出来る。*その時の*商品評価の基準になるしな。そして「頭の良い」奴等はその仕組みにとっくに気づいていたんだ。頭が悪く、軽蔑されていたのは僕だった。


 今もこうしてだらだらしてる。特にテスト勉強なんてやってない。けど僕は頑張ってる。醜くも、あさましくも、抱いた妄想に期待して今日も足掻いてる。


 さあ、やるか。